昔は、何もしない時間は、もったいないと思っていました。
というか、いつも時間に追われていました。
時間が足りない。
もっと時間があれば、あれもできるのに。
ずっと、そんなふうに思っていた気がします。
でも最近、ようやく気づきました。
時間があることと、時間から自由であることは、同じではないのかもしれません。
時間ができれば、自由になれると思っていました
薬剤師として働いていた頃は、会社に縛られている時間と、家で家事をしたり、子供や夫の世話をしたりする時間で、一日が終わっていました。
一人でほっとできるのは、通勤の車を運転している時くらい。
ほっとし過ぎて、危険な目に遭ったこともあります。
だから当時は、自由な時間さえあれば、もっとゆっくりできると思っていました。
ところが、セミリタイアして時間ができても、私は変わりませんでした。
今度は自分で30分単位のスケジュールを作って、次々に予定を入れていたのです。
何かを学ぶ時間。
何かを作る時間。
家事をする時間。
会社はもう私の時間を管理していないのに、今度は自分で自分の時間を管理していました。
何もしない時間は、寝ている時くらい。
誰にも「やりなさい」と言われていないのに、いつも何かをしていました。
だって、やりたいことがたくさんあったからです。
好きなことだけしても、何かが違いました
もちろん、何もしなくていい時間に、思う存分好きなことをしていた時期もあります。
ファンタジーを読んだり、アニメを見たり。
最初は楽しかったのです。
ところが、そればかりしていると、今度はだんだん飽きてきました。
「好きなことを自由にできるのに、飽きるなんて」
なんてわがままな性格なんだろうと、自分を責めたこともあります。
そして結局、
もっと学びたい。
何かを書きたい。
アウトプットしたい。
そう思うようになりました。
そんな頃に出逢ったのが、Substackです。
これがまた、面白かったのです。
記事を書く。
他の人の記事を読む。
コメントしたり、交流したりする。
楽しくて、どんどん時間を使うようになりました。
気がつけば、また「何もしない時間」がなくなっていました。
いつも忙しそうにしているね?
そんな私を見て、ある日、夫が言いました。
「いつも忙しそうにしているね?」
そして、
「何もしない時間も必要だと思うよ」
と言われたのです。
その頃の私は、Substackが面白過ぎて、パソコンを使い過ぎていました。
目が充血するほどです。
夫は、そんな私を心配してくれたのでしょう。
でも私は、その言葉を聞いて、ちょっと不思議な気持ちになりました。
私はもう会社員ではありません。
誰かに締め切りを決められているわけでもありません。
「もっと記事を書きなさい」と言われているわけでもありません。
自分が楽しくてやっていることです。
それなのに、夫から見た私は、
「いつも忙しそうな人」
になっていました。
会社を辞めれば、時間から自由になれると思っていたのに。
会社は私の時間を奪わなくなったのに、今度は私自身が、空いた時間を全部埋めていたのです。
本当に「何もしない」をやってみました
そこで最近、あえて何もしない時間を作るようになりました。
スマホを見ない。
本も読まない。
音楽も聞かない。
ハーブティーなどの飲み物も飲まない。
本当に何もしない。
昼間なら、窓の外の空を眺めています。
ただ、眺めています。
夜なら、カーテンを眺めています。
カーテンを眺めて、何が楽しいの?
と思われるかもしれませんね。
楽しいわけでもありません。
何かを得ようとしているわけでもありません。
そして、目も閉じません。
目を閉じると、私の場合は「瞑想をする時間」になるような気がするからです。
瞑想すらしない。
ただただ、そこに在る。
そんな時間を体現してみたいと思ったのです。
最初から上手にできているわけではありません。
何もしないでいると、頭の中にいろいろなことが浮かんできます。
でも、それもそのまま。
何かしなきゃ、と急がなくていい。
ただ空を眺める。
夜ならカーテンを眺める。
それだけです。
何もしないと、なぜか何かが浮かんできます
不思議なことに、そんな時間を作るようになってから、視野が少し広がるような感覚があります。
未来の私が語りかけてくるような、そんな感覚になる時もあります。
そして、新しいアイデアが浮かんでくることもあります。
そんな時は、急いでメモします。
……あれ?
メモしたら、もう「何もしない時間」じゃないですね。
書きながら、ちょっと矛盾しているなと思いました。
でも、最近はそれでもいいと思っています。
何もしない時間を作ったからといって、最後まで何もしないことを守らなくてもいい。
何か浮かんだら、メモしてもいい。
何も浮かばなければ、それもいい。
大切なのは、「何もしない時間にも成果を出さなければ」と考えないことなのかもしれません。
何も生まれなくても、もったいなくない
「何もしない時間を作ると、いいアイデアが浮かびますよ」
この記事で、そんなことを言いたいわけではありません。
アイデアが一つも浮かばない日があってもいい。
視野が広がった感じがしなくてもいい。
何の発見もなく、ただ空を眺めて終わってもいい。
以前の私なら、そんな時間を「もったいない」と思ったでしょう。
せっかく時間があるなら、本を一冊でも読んだほうがいい。
一つでも学んだほうがいい。
記事を一行でも書いたほうがいい。
そんなふうに考えていました。
でも今は、
何も生み出さなかった時間まで、役に立ったかどうかで評価しなくてもいい
と思うようになりました。
自由とは、好きなことを好きなだけできることだと思っていました。
もちろん、それも自由です。
でも、もう一つあるのかもしれません。
何かを学ばなくてもいい。
何かを作らなくてもいい。
楽しもうとすらしなくてもいい。
ただ、そこにいる。
そんな時間を「もったいない」と思わずに過ごせることも、心の自由なのかもしれません。
もし最近、「なぜかいつも忙しいな」と感じていたら。
5分だけでも、何もしない時間を作ってみるのもいいかもしれません。
空でも、壁でも、カーテンでも。
ただ眺めるだけ。
何も起こらなくても、それで十分です。
今日も、心も体も健康で楽しい一日になりますように。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
追伸:今回の考え方を含め、「心・体・お金」の自由を体系的にまとめたnoteもあります。
https://note.com/satoai5/n/nfc3ab4d4f615
サト愛




時間ができても自分でスケジュールを細かく埋めてしまい、「時間があること」と「時間から自由であること」は別物だったと気づくお話にすごく納得しました。誰かに強制されていなくても、好きなことや発信でつい空白を埋め尽くしてしまう心理はとても身近で、時間の使い方について立ち止まって考えるきっかけになります。
サト愛さん、こんにちは😊
何もしない時間や心の余白って大切ですよね。
私も何かしないと罪悪感にかられていた時があって、
何もしない時間を作るのに勇気がいりましたが、
最近はこういう時間も必要だなと感じています。
素敵な記事をありがとうございます✨